大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和39年(ワ)10107号 判決 1967年9月27日

原告

中田杏次郎

原告

中田かよ

代理人

阪岡誠

中津林

被告

平野久義

被告

名和鉄板株式会社

右代表者

那波直彦

代理人

島原清

主文

一、被告名和鉄板株式会社は、原告中田杏次郎に対し金八六万四四七九円の支払いをせよ。

二、原告中田杏次郎のその余の請求および原告中田かよの請求は、いずれも棄却する。

三、訴訟費用中、原告中田杏次郎と被告名和鉄板株式会社との間に生じたものは被告名和鉄板株式会社の負担とし、原告中田杏次郎と被告平野久義ならびに原告中田かよと被告名和鉄板株式会および被告平野久義との間に生じたものは原告らの負担とする。

四、この判決は原告勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

原告ら――「被告らは連帯して、原告中田杏次郎(以下原告杏次郎という。)に対し金九二万九四九七円、原告中田かよ(以下原告かよという。)に対し金三〇万円の支払いをせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言

被告ら――「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二  請求原因

一、(事故の発生)

被告平野久義(以下被告平野という。)は、昭和三六年一一月一一日午前一〇時一〇分頃、大型貨物自動車(ジュピター六〇年式一む一九一八号)(以下甲車という。)を運転して、東京都墨田区横網一番地先道路を東進し、蔵前橋を通過して間もなく進行方向左側の歩道に乗り上げそのまま進行し、訴外新日本運輸株式会社(以下訴外会社という。)の車庫で洗車中の貨物自動車(四え二二八六号)(以下乙車という。)の後部に甲車を衝突させ、乙車を約一米前方に押し出し同所において洗車中の被告杏次郎を訴外会社の食堂兼便所であるモルタル塗り建物の出入口横手に圧し付け、同人に対し右脛腓骨骨折、前腕部打撲傷の傷害を負わせた。

二、(被告平野の責任)

被告平野は蔵前橋の道路中央付近において、甲車の制動機能が完全に喪失していることを知悉し、前記のとおり運転操縦したのであるが同人には次のような過失がある。本件事故現場は、訴外会社の車庫兼蔵前支店入口であり、車道には同社の営業車が停車しており、車庫の入口では乙車の洗車中であり、同社従業員等が甲車に気付かず歩道横断のため甲車前面に飛び出してくる虞れが多分にあつたし、制動機能が完全に故障している自動車で歩道を進行することは車道を進行することより危険なのであるから、自動車運転者としては警音器を充分吹鳴して、警告を与え、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があり、又甲車の時速は、約一〇ないし一五粁であつたのであるから、事故現場手前にあるセメントの大きなかたまり、電柱、縁石(いずれも甲車を停止させうる。)等の障害物に甲車を突き当らせ(前記速度で突き当つても甲車の運転者および助手の生命、身体に危険を生ぜしめるようなことはない。)自動車の出入りの多い右車庫の入口や、人の出入りの多い右支店入口を避けて甲車を停止させるべき義務があつたにもかかわらず、同人はいずれの措置をもとることなく本件事故を惹起させてしまつた。よつて同人は民法七〇九条の責任がある。

三、(被告名和鉄板株式会社の責任)

被告名和鉄板株式会社(以下被告会社という。)は当時甲車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたので自賠法三条の責任がある。

四、(損害)

(一)  原告杏次郎の収入損、治療費等の財産的損害

1 昭和三六年一一月一二日から翌三七年四月二一日までの間の給料の損失 金五万一五九二円八〇銭

原告杏次郎は訴外会社の従業員であるが、本件事故により昭和三六年一一月一二日から翌三七年九月五日まで訴外会社を欠勤し、同年四月二一日まで休業補償として平均賃金の六割の額を受けたにとどまつた。同人の昭和三六年八、九、一〇月の三カ月間の平均日給は金八七一円五〇銭であつた。

よつてその差額は次の数式によつて算出される。

871.5×0.4×{161−(1+2+5+2+2+1)}=51,592.80(各月二日公休とし正月のみ五日の休日を除く。)

2 昭和三七年四月二二日から同年九月五日までの給料の損失 金一一万一五五二円

右期間は休業補償を受けなかつたので次の数式による損失を受けた。

871.5×(137−9)=111,552(各月二日の公休として除く。)

3 休業期間に受けた賞与の減額 金一万五六〇〇円

三六年一二月分

本来金二五〇円に五〇を乗じた額金一万二五〇〇円を受くべきところ、一カ月間欠勤のため金一万二五〇〇円の六分の五にあたる金一万〇四〇〇円しか受けられなかつた。従つて金一万二五〇〇円から金一万〇四〇〇円を差し引いた金二一〇〇円が不足額となる。

三七年六月分

右同様金二五〇円に五〇を乗じた額金一万二五〇〇円に、特別賞与としての金一〇〇〇円を加えた金一万三五〇〇円を受けるはずであつたところ休養のため受けられなかつた。

以上、の合計金一万五六〇〇円が減額となつた。

4 昭和三七年九月六日から翌三八年九月五日まで一カ年間の機能低下による職種変更のための減給額 金八万八二三二円

原告は昭和三七年九月六日から勤務をはじめたが運転手としての機能回復までに最低一カ年を要し、その間職種変更をして倉方となつたが、倉方の給与は運転手の七割であるから、三割の減収となつた。平均給与額金八七一円五〇銭に〇・三を乗じると金二六一円四五銭(日額減給額)となる。勤労日数は三三八日でるから、次の数式となる。

261.45×338=88,231.90≒88,232

5 昭和三七年九月六日から翌年九月五日までの一年間の賞与不足額 金一万一二五〇円

三七年一二月分の不足額

(二カ月欠勤があるので六分の四を乗じる。)

金一万三五〇〇円から右金額を差し引くとその不足額は金七二〇円となる。

三八年六月分の不足額

金一万三五〇〇円から金九四五〇円(金一万三五〇〇円に〇・七を乗じたもの)を差し引くと金四〇五〇円が不足額となる。

6 昭和三七年五月の定期特別昇給額を加算することによる損失 金三万九五二〇円

原告は本件事故にあわねば昭和三七年五月に一日当り金六五円の昇給があるはずであつたが事故によりこれを逸した。月数は一六カ月で、その計算は次の通りである。

65×28+200+450=2,470

2,470×16=39,520

7 6による賞与の加算分 金五二五〇円

右昇給を考慮すると、賞与も次の金額だけ増額できた筈であつた。

三七年六月

(250+35)×50+1,000=15,250

15,250−13,500=1,750

よつて金一七五〇円増加することになる。

三七年一二月および三八年六月も同額の増加となる。

8 治療諸雑費 金一〇万六五〇〇円

(二)  原告杏次郎の慰藉料

原告杏次郎は本件事故による傷害の治療を長期に亘つて受け、しかも、右脛腓骨骨折接合が不完全のため多少の跛行を残しており、右足の運動は不自由である。後遺症として右足を勢よく踏み入れることが出来ず、ブレーキペタルを踏むことができないために大型貨物自動車の運転ができず、同人の訴外会社において占める地位ははなはだ不安定なものとなつている。以上のような同人の肉体的、精神的苦痛を慰藉するものとして金五〇万円が相当である。

(三)  原告かよの慰藉料

原告かよは原告杏次郎の母であり、同人の生長を楽しみに暮していた同女にとつては本件事故による原告杏次郎の傷害は非常な衝撃であり、右精神的苦痛を慰藉するものとして金三〇万円が相当である。

五、よつて被告らに対し、原告杏次郎は金九二万九四九七円、原告かよは金三〇万円の支払いを求めるため、本訴請求におよぶ。

第三  被告らの答弁

一、(請求原因第一項について)被告ら――認める。

二、(同第二項について)被告平野――否認する。

三、(同第三項について)被告会社――認める。

四、(同第四項について)被告ら――不知。

第四  被告らの主張

一、(被告平野の無過失)

甲車運転手被告平野は時速三〇粁で進行中、突然ブレーキがきかなくなつたのに気付き、先行車との追突を避けんとし、歩道に人がいないので、減速させるため歩道に乗り入れ、乙車とその右側にある電柱との間で停止しようと試みて本件追突に至つたものであつて、甲車運転手としては他に方法がなかつたのであり、事故発生はひとえにブレーキの故障によるのであるから、同被告には過失はない。

二、(被告会社の免責)

右ブレーキの故障は、左後輪のドラムをホーシングに固定するスパーリング・ピンが装着不十分であり、また右廻りのネジであつたため抜け落ちたことによる。事故の三カ月前車検手続も済ませたばかりである甲車としては考えられぬことであり、日常の整備で発見しうる瑕疵ではない。そして、右のように運転者にも過失がなかつたのであるから、被告会社には自賠法三条の責任はない。

三、(被告平野の抗弁)

仮りに被告平野に責任があるとしても、原告杏次郎は、昭和三八年七月ごろ本件事故に基づく損害賠償請求権を放棄した。

四、(被告らの弁済の抗弁)

被告らは原告杏次郎に対し、賠償金の一部約金四万円を支払つた。

第五  被告らの抗弁に対する原告らの認否

いずれも否認する。

第六  証拠<省略>

理由

一、(事故の発生)

請求原因第一項は当事者間に争いがない。

二、(被告平野の責任)

(一)  いずれも成立に争いのない甲第五号証、第一二号証、証人座間松吉、同野本春男、同宇沢克已の各証言、被告平野久義本人および原告会社代表者の各尋問の結果を総合すると、甲車の構造およびブレーキの故障原因は次のとおりであることが認められる。

甲車は車長五・四米、車幅一・九米、車高一・九七米、自重一・九屯、最大積載量三屯(事故当時は空車)であり、ブレーキは油圧式であつてブレーキを踏むとドラムを内側から圧しその回転を止めるようになつており、ドラムと車軸がホーシングから抜けないようにハブベアリングで結着され、そのハブベアリングはネジで固定され更にそのネジがゆるまないようにストツパーリングと称するピンで止めてある。

本件においてはそのピンが不完全に装置されていたため、ネジが回転方向と同じ右廻りであつたことも一因をなして、ネジが車の回転に伴いゆるみ、左後輪のドラムが車軸とともにホーシングから抜けてしまつた。そのために左後輪のブレーキが空転して圧力が加わらなくなり他の三車輪のブレーキもきかなくなつてしまつたのである。

(二)  前出甲第一二号証、証人植田克夫の証言、原告中田杏次郎、被告平野久義の各本人尋問の結果を総合すると、事故現場付近の状況、甲車の衝突に至るまでの走行状態は次のとおりであることが認められる。

(イ)  神田方面から石原町方面に東西に走つている歩、車道の区別のある幅員一四米以上のコンクリート舗装道路が隅田川と交差する地点に蔵前橋が架橋されており、同橋から東方石原方面にかけて左カーブしゆるやかな下り坂となつており、同橋を渡り切るとすぐ左側に本件事故現場である訴外会社の敷地、建物が歩道に接して存する。訴外会社付近の状況は、訴外会社の前にある歩道は幅員二・五米で車道との間は高さ約一〇糎の縁石線で仕切られ、それだけ高くなつている。訴外会社建物の西側面の西側に歩道に接して高さ約五〇糎の国旗掲揚台があり、右台の南方歩、車道の境目あたりにコンクリートの電話線用電柱が立つており、また、後記乙車の駐車位置の南方歩、車道の境目あたりにもコンクリート電柱が立つている。事故当時乙車は訴外会社の敷地および歩道に跨つて駐車していたが、その他にも、電話線用電柱のあたりに車道端に大型貨物自動車(以下丙車という。)が駐車していた。

(ロ)  被告平野は甲車を運転して時速三〇ないし三五粁で神田方面から蔵前橋にさしかかり、ほとんど同橋を渡り切ろうとする頃(隅田川上から隅田川と平行して南北に走つていて同橋と立体交差している道路上にさしかかる頃)、下り勾配にさしかかつても加速度を増さないためと、先行車がブレーキを踏んだことから、同人もブレーキを踏んだが、故障のため全然ブレーキがきかないことを突如発見し(その時甲車は車道左端から三・八米の間隙を保つて走行していた。)直ちにサイドブレーキを試みたが効果なく、そのまま進行したのでは先行車に追突すると考え、付近の歩道上に人影がなかつたのを幸に、ハンドルを左に切り、丙車を避けて歩道上に乗り上げた。その際高さ約一〇糎の縁石によつて甲車の速度は時速一五ないし二〇粁に減速はしたが、停止に至らず、何か障害物をと搜したところ乙車が前方に駐車しており(乙車のかげにいた原告杏次郎の存在については全く気がつかなかつた。)その右側に前記電柱を発見したので、同電柱に衝突させて停車させようとした。しかし、結局甲車はその左前方の角で乙車の右後尾に追突し、多少進行後乙車と電柱とにはさまれて漸く停車するに至つた。以上の非常措置の間被告平野は警笛吹鳴の措置をとらなかつた。

(ハ)  被告平野がブレーキの故障に気がついて乙車に衝突するまでの走行距離は約五四米で、歩道に乗り上げるまでが約二八米、歩道上を走行した距離が約二六米であり、前記甲車の速度によればブレーキの故障発見時より衝突まで七ないし一〇秒かかつている。<反証――排斥>

(三)  以上の事実をもとにして被告平野のとつた処置の適否について判断する。

まず、同人がブレーキの故障に気かついてから衝突に至るまでの間に、同人の警笛吹鳴の措置を期待しえたであろうか。七秒ないし一〇秒は、通常の走行特態においては運転者に対し相当多くのことを期待しうる時間であるが、極めて稀れなブレーキの故障に対処し、ハンドル操作と進行方向の選択とに全注意を集中すべき事態において経過した時間であつたことを考えると、被告平野としては、突磋の判断が直進して先行車に追突することを回避せんとし、人気のないことを確認した上で歩道に乗り入れ、これによつて同時に縁石を利用して減速するという処置をとつただけで適切さにおいては十分であり、それ以上同人に警笛を吹鳴する余裕があつたとは思われないし、また、仮りにその余裕があつたとしてもその必要性がなかつたものと思われる。原告杏次郎の存在を同人が認識していたのであれば別論であるが、前認定のとおり衝突後初めて乙車の蔭に人がいたことに気がついているのである。従つて、被告平野が警笛吹鳴をしなかつたことに対して非難すべき点はない。事故現場手前にはたしかに原告主張のとおりセメントのかたまり(国旗掲揚台)、電線用電柱があつたことは認められるが、被告平野はこれらのものに気付かず、前方に認めた電柱との衝突だけを考えていたのであり、又電話線用電柱については、その付近に丙車が駐車していたのでこれに衝突させること自体不可能な状態であつた。そして、被告平野がこれらのものに気付かなかつたことは、前記のように、この時同人の直面した状態が極めて異常なものであつたことを考えると、注意力不足を以て責めることはできないし、また、同人が本来電柱のみに衝突させるつもりであつたのに、乙車に衝突してしまつた点も、右の状況において乙車の蔭に人のいることを認識していなかつた以上、責めることはできない。先に前車との追突を避けた時と違い、この時に縁石に乗り上げることで減速していたことも考え合わすべきである。

結局被告平野に本件事故発生についての過失を認めることはできないから、その余の判断に及ぶまでもなく同人に本件事故による損害の賠償責任を認めることはできない。

三、(被告会社の責任)

被告会社が甲車所有者としてこれを自己のために運行の用に供していたことは原告らと被告会社間に争いがない。そこで、被告会社に自賠法三条の免責事由があるかどうかを考えて見るのに、甲車の運転者であつた被告平野には過失がなかつたことは前判示のとおりであるが、その行動は前記のようなブレーキの故障を覚知したことによるのであるから、本件事故の発生が右ブレーキの故障によるものであることは否定できず、そして、前掲証人座間松吉、野本春男の各証言と被告会社代表者の尋問の結果によれば、このような故障のあることを日常の整備点検による事前に発見することは、事故の三、四カ月前に車検手続を済ませたばかりである甲車については殆んど期待しえなかつたことが認めらるけれども、一般に自賠法三条にいわゆる「構造上の欠陥又は機能の障害」とは、保有者や運転者が日常の整備に相当の注意を払うことによつて発見されることが期待されたか否かとはかかわりなく、およそ現在の工学技術の水準上不可避のものでない限りは、その欠陥ないし障害を云々しうるものと解すべきであり、本件においては、前示のようにネジが緩んでドラムがホーシングから抜け出し結局ブレーキが正規に作動しなくなつたことはもちろん、ネジが右廻りであつたこと(証人野本春男、同宇沢克已の各証言により、後日この製造方式が改められ、左廻りになつたと認められることを考え合わすべきである。)も、右の意味において不可避の欠陥ないし障害であつたとは言えないから、右免責の抗弁は採用できない。従つて被告会社は後記損害を賠償する責任がある。

四、(損害)

(一)  原告杏次郎の収入損、治療費等の財産的損害

<証拠>によれば次の事実が認められる。

1  昭和三六年一一月一二日から翌三七年四月二一日までの間の給料損

原告杏次郎は訴外会社の従業員で運転手として雇用されていたが、本件事故によつて昭和三六年一一月一二日から翌年九月五日まで欠勤し、同年四月二一日まで給料の六割に相当する休業補償を受けた。事故前三カ月間の平均日給は金八七一円五〇銭を下らなかつた。各月二日と正月五日の公休があつた。稼働日数は一四八日となる。

従つて同人は金八七一円五〇銭に〇・四を乗じたものに一四八を乗じた額金五万一五九二円八〇銭の損失を右期間蒙つたことになる。

2  同年四月二二日から同年九月五日までの給料損

この期間の稼働日数を九日とすると一二八日となる。

金八七一円五〇銭に一二八を乗じると金一一万一五五二円となる。

3  休業期間に受けた賞与の減額

昭和三六年一二月分

訴外会社の賞与は六月と一二月に支給され、訴外会社の昭和三六年一二月分の賞与は基本日給(原告杏次郎の場合金二五〇円)の五〇日分であつたが、原告杏次郎は一カ月欠勤しているため受けるべき賞与の六分の一を減額された。

そこで三六年一二月分の減額分を計算すると金二〇八三円となる。

翌年六月分

このとき特別賞与として金一〇〇〇円支給される筈であつたが欠勤によりこれを失つた。従つてこの月の受けるべき賞与の損失は金一万三五〇〇円であつた。

4  原告杏次郎は会社に出勤しはじめた昭和三七年九月六日以後一年間は機能が十分に回復しないため運転手として稼動できず、そのため倉方(運転手の免許がないためホームの上で荷物の載取りなどの仕事をする職種)となり、運転手としての給料の七割分しか支給されず、三割相当の損失を受けた。この期間の稼働期間は三三八日であつた。

そこで日額減給額を計算すると金二六一円四五銭となり、これに三三八を乗じると金八万八三七〇円となるから、同原告主張の金八万八二三二円の損失を認めうること明らかである。

5  昭和三七年九月六日から翌年九月五日までの一年間の賞与不足額

昭和三七年一二月分の不足額

同月に支給された賞与額は通常の賞与額金一万二五〇〇円に特別賞与額金一、〇〇〇円を加えた金一万三五〇〇円であるべきところ、事故のためこれに〇・七(給料が七割となつたため)を乗じ更に六分の四(二カ月欠勤のため)を乗じた額であつた。従つて損失額は金七二〇〇円となる。

昭和三八年八月分の不足額

同月に支給された賞与額は同様金一万三五〇〇円であるべきところ事故のため〇・七を乗じた額であつたので損失額は金四〇五〇円となる。

6  昭和三七年五月定期特別昇給額を加算することによる損失

昭和三七年五月定期昇給として日給が金三〇円と金三五円の計金六五円上がり、努力賞として金二〇〇円、地域給として金四五〇円の加算があり、月額で金二四七〇円となつた筈であるが事故のためそれより一六カ月間遅れた。

従つてその期間の損失額は金三万九五二〇円となる。

7  6による賞与の加算分

昭和三七年六月分、同年一二月分、翌年六月分について金三五円を加えて計算すると各金一七五〇円の増加となり、合計金五二五〇円の増加となる。従つて昇給を考慮すると、賞与の損失額はさらに右金額だけ増大する。

8  治療諸雑費

<証拠>によると、訴外植田克夫が、同原告入院中の必要経費中

イ、ユタンポ二個代 金五〇〇円

ロ、洗面用具代 金二〇〇〇円

ハ、松葉杖代 金二〇〇〇円

ニ、クリーニング代 金五〇〇〇円

ホ、下着又は寝巻代 金五〇〇〇円

の計金一万四五〇〇円の支払いを、同原告自身が、

ヘ、食餌料 金一万円

ト、通院費 金一万五〇〇〇円

チ、家族の見舞旅費又は宿泊代 金二万五〇〇〇円

リ、温泉療養費、マツサージ代 金一万円

ヌ、近親者又はその他の看護料 金一万円

ル、旅費 金一万円

ヲ、見舞返し又は通信費 金一万円

ワ、医者、看護婦に謝礼 金二〇〇〇円

の計金九万二〇〇〇円の支払いをした事実が認められる。

そのうちチ、ヌ、ル、ヲの各項目を除いては、右損害項目および損害額はいずれも本件事故と相当因果関係があると認められるが、右四項目については特段の事情がない限り相当因果関係を認め難いところ、かかる事情については主張立証がない。そして、訴外植田克夫の支払分金一億万四五〇〇円については、一時同人が原告杏次郎に代つて立替払いをしたものであつて、その結果原告は同人に対し同額の支払義務を負担していると認められる。

よつて合計金五万一五〇〇円が原告杏次郎の治療費等損害として認められる。

(二)  原告杏次郎の慰藉料

<証拠>によると、同人は受傷日である昭和三六年一一月一一日から翌年二月一一まで入院治療し、退院後も同年九月五日まで通院治療を受けていること、更に本件事故による傷害の後遺症として大型トラックのブレーキを強く踏めなくなり、普通乗用車でも長時間運転できない状態であることが認められる。運転手として雇用されている同人にとりブレーキ操作に困難を感じるということでは訴外会社において占める地位は非常に不安定なものといわざるを得ない。

以上のような原告杏次郎の味わつた肉体的、精神的苦痛を慰藉するものとしては金五〇万円を相当と認める。

(三)  原告かよの慰藉料

身体傷害の場合、被害者本人以外の近親者に固有の慰藉料請求権を認めうるか否かについては、当裁判所は、民法七〇九条、七一〇条、七一一条の文言を総合して合理的に解釈する場合、被害者の身体傷害の程度が著るしく、その死亡にも匹敵するといいうるほどの特別の事情あるとき、七一一条を準用して同条所定の遺族に慰藉料請求権が認められることのあるのを除いては、一般にこれを否定するのが相当であると考える。

<証拠>によると、原告かよが原告杏次郎の母であることは認められるが、原告杏次郎の傷害の程度は右のような特別の事情にはないので、本件においては原告かよの慰藉料請求はこれを認めることができない。

五、(弁済の抗弁)

被告会社代表者の尋問の結果によると被告会社は原告杏次郎に対して、金一万円の弁済をしている事実が認められるが、それ以上の弁済をした事実を認めるに足る証拠はない。

以上により原告杏次郎の被告に対する請求は第四項の合計額金八七万四四七九円(円未満切捨)から第五項の金一万円を控除した金八六万四四七九円の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるのでこれを棄却し、同人の被告平野に対する請求ならびに原告かよの被告平野および被告会社に対する請求は全部失当であるのでこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。(倉田卓次 浅田潤一 原田和徳)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例